ASMITA

エゴについて。結局自分を苦しめたりマインドを忙しくさせたりする原因の多くはエゴを自分の中にもつ事で、そしてそのエゴは他の存在と自分を比較して「自分が自分が」という感情を生み出すことや他の存在に対して否定的な感情を持つことから来ることが多い気がする。自分の容姿的な事、持っている物や持っていないもの、自分の育った環境や今いる環境を誰かと比較しては「これがなければ幸せになれない」「こうしないといけない」と悲しんだり怒ったりする思考や行為の先に平安や安らぎはない事に皆気がついていると思う。私はライフタイルにヨガが登場するまでははっきりいって自分の事しか考えていないかなり神経質なタイプだった。なんかこう書くとまるでヨガを始めたことでとっても素晴らしい人間になったみたいだけれど、もちろんそうではなくて、そういう部分も私のパーソナリティの本質の一部なので、今でも練習不足とか聖典についての学びから大きくそれたりすると(最近はないけど)自分の良くない考え方や行動のパターンが出てくるし、出てくるとちょっとキツくて寝込んでしまいたくなる。

個人としての存在を自分で尊重する意味でエゴは悪いだけではないのかもしれないけれど、他者と自分を区別するタイプのエゴが強く出た時「自分の内側にはこういうネガティブな感情がある」と客観視して、その感情の原因がどこからやってきているか(造り出しているか)を理解してコントロールする事が大事なのだと思う。こういうヨガ哲学の思想や聖典で伝えられている教えに共感をしたり理解するタイミングというのは皆それぞれで、10代でヨガもしていないのに理解できる人もいれば死ぬまで理解しない人もいると思う。これは魂の成長の段階にはそれぞれのステージがあるからだと理解していて、私がなぜそう思うかというとそれは私達の魂が、服を着替えるように肉体を変え輪廻転生を繰り返し、そのサムサーラ(輪廻)の輪から解脱するために魂を成長させ続けているというヒンドゥーの教えの中にいるから。

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ヨガでは自分の持つエゴとの距離を取る具体的な練習方法として、自分のために行為を行うのではなくて他者の為に行為を捧げること、そしてその行為によってもたらされる全てのリアクションに執着を持たないことを教えている。自分の行った事に対しての評価に期待をする事や執着をすることは「なぜもっと喜ばないのだろう」「もっと感謝されても良いはず」という感情を造り出す。自分の行いに対して執着を持たない事によってその行いは完全な行為になる、と説かれているけれどこの完全な行為を行う精神を育てるためにヤマ・ニヤマ(アシュタンガ8支則)の練習が不可欠で、この積み重ねがヨガにおける精神性と人間性の礎になる、そう思う。

私は家族のために家を清潔で快適に整えたり、環境や動物に対する暴力や冒涜、生産者への搾取のない素材を使って料理をするというような自分に出来るシンプルな行為に常に意識を持つこと、ハタヨガの練習でその時の身体とマインドの状態を理解(自己を知る)することでなるべく肉体と考え方をヘルシーに保つことから少しずつ練習をしている。しかも自分の為ではない行為をすることで自然と同じようなコンセプトを持つ人が集まるし、いいコミュニティーに自分をポジショニングできる。スワミ・サッチダーナンダは「よい交際を保つことによってすぐさま得られる報酬は悪い交際をしなくて済むことである。なぜならあなたは一度に両方の場所にいることはできないからだ」と言う。

そして自分の中に取り入れる情報を慎重に選ぶことが重要だといつも思う。インターネットやテレビなどの大衆的で便利なものの中には多くの潜在的な暴力と無駄な情報があふれている。自分の内側に流れ込む全ての情報に繊細になることで「沢山の財産や物を持っている者が優れ(勝ち)、そうでないものは劣っている(負け)」みたいな極端な価値観の中に身を置いて自分を苦しめることもなくなるのでは、と思う。アヴィディア(無知)がアスミタ(エゴ)を生み出す。私は「私達は聖典の正しい教えからの知識を学ぶことによってこれらのネガティブな要素を燃やす強い力をもともと持っている」という先生の言葉にいつも勇気とインスピレーションをもらっています。

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